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よしなしごとをゆるゆるとためておく、おんなたちのインターネットゆぶね

2017年マルゼミ 若松英輔先生 「言葉を贈るということ」レポート

ふせったーに感想が残っていたので、こちらに転載します。

 

若松先生講演会
「言葉を贈るということ」

読むと書くは吸うと吐くということ。
もっと息を吐きなさい。

人にとって言葉は古くならず奪われる事のない贈り物になる。
慰めようとか励まそうとか、そうではなく驕らず心を込めて「書いた」ものは、言葉の贈り物は相手を守る護符となる。

事実を書いたところでそれはメモであり記号でしかない。そういったものは書いたことにはならない。
書くということはその人固有のものであり、それは言葉の意味がその人固有のものだからだ。

言葉には記号と意味がある。
自分の言葉は100%が相手に伝わるものではないけど、それは受け取る人がどう意味を見出すかの違いであって、言葉とはそういうもの。
だから時としてある人の護符は人が聞いたらなんだそんなのって思うような平凡な言葉だったりするし、そういうものこそ、なくてはならないもの本質的なものなんだ。

だからもっと大胆に読んで良いし、書いて良いんだ。

若松先生、すごく柔らかくやさしい言葉で分かりやすい反面、耳を右から左へと言葉が流れていってしまって大変だった(笑)
「今日講演会で何が聴けるかな」ではなくて「なぜ聴きに来たのか」のが大切なんだよって冒頭でも仰ってて、
人は答えを求めるとき、問いを止めてしまう。
選択肢には問いを深めるということもある。
人生という答えのない問いにあるのは手応えのような応えだけ。
だから問いを止めてはいけないんだよ。
って締めの流れが素敵だった。

なんかもっとたくさん素敵なこと仰ってたんだけどまとまらないからここまで。゚(゚´ω`゚)゚。

ここまで

 

キャリコンの方にも言われたけど、私に足りないのは書くこと、吐き出すことなんだなとしみじみとしちゃいました。